どうして人身事故が多いのか
どうやって自殺しようか考えていた。
死ぬことは何も怖くはないが、死ぬまでの苦痛は怖い。できることなら極力苦痛の少ない方法で、と思うのはみんなそうだろう。
一番安楽死に近いのは練炭、首吊り、あとはマイナーだがヘリウムもそうだと思う。
ヘリウムは実際、実家にいるときにこっそり地下の物置に取り寄せて置いておいた。本当にあのときに死ねばよかったのになあ、と思う。
自殺の手段で一番多いのは縊首、すなわち首吊りだそうだ。
日本での死刑執行の際に使われる手段だからだろうか。持ち家の人はその家で首吊りをしても構わないだろうから羨ましい。私は賃貸な上に、昔から私に良くしてくれた祖母が連帯保証人になっているから今住んでいる家では実行できない。
祖母が賠償責任を問われるのは避けたい。
そうなると場所探しがとても大変だ。ホテルはそこまで吊れるようなところはないし、富士の樹海まで行けば可能かもしれないが、そこまでの気力もない。
8月末は電車の飛び込みがとても多く、今年も連日のように電車が止まっているニュースを見た。
事故と区別がつかないからかもしれないが、統計データよりよっぽど飛び込み自殺は多いのではないかとすら思ってしまう。
自分も、おそらく飛び込みで死ぬことになるのだろう。
安楽に死ねる手段ほど事前準備が必要で、場所も限られてくる。成功率も高いとは言えない。
その反面、電車への飛び込みは東京なら駅にさえ行けばいいのだから簡単だ。他の手段と比べたら恐怖感は段違いだし、うまく首をはねられなかったらおそらく完全に息絶えるまで地獄の苦痛を味わうことになるだろうから普通は選ばないのだけれど、今すぐ死にたいと思っているときに死ねるのなら、きっと誘われるように飛び込んでしまうと思う。
人身事故に対する世間の反応は冷ややかだ。普段他人の苦しみには無関心な人間が、なぜ人身事故になると「人に迷惑をかける死に方をするな」とドヤ顔で言い始めるのだろうか?
死ぬことばかり考えている人間ならばいっそう他人の苦しみなど考える余裕なんてないとは思えないのだろうか?身勝手なのは、お互い様だと思う。
今日も過食嘔吐
精神科で辛すぎて過食嘔吐をし始めたことを話したら、デパケンという薬を処方された。
飲み始めて数日経ったが別に過食嘔吐が治るわけでもなく、普通にやってしまった。
元々嘔吐は得意ではない。むしろ怖い方で、吐くときといえば酒で気持ち悪くなってしまった時くらいなのだが、もうどうでもいいと過食してから自罰的に吐いたのが始まりだった。
今でも完吐きできるわけじゃないし抵抗はあるが、何度か繰り返しているうちに罪悪感は薄れていった。
毒実家でニート時代30キロ太り、それをほぼ元に戻したので、もう絶対に太りたくはない。
でも食べたい。この矛盾を解消するのに過食嘔吐はぴったりだった。
幸い彼は過食嘔吐に理解があるというか、気持ち悪くなるとすぐに吐く人なのでお金がかかること以外は何も言ってこない。頻度が週数回と比較的少なくセーブできていることもあるのだろう。
しかしお腹が気になる。デパケンは太るという噂もあるし、少しだけ体重計に乗るのが怖い。
過食嘔吐を始める前からだからどちらかというとストレスによるものだと思うが、生理も止まった。ピル飲んでるのに。
もう何もかも嫌だ。
ぜんぶ私が悪い。
不満なことがあると不機嫌になる。
それがマックスになり、どうして分かってくれないのかという悲しみで感情が爆発する。
怒鳴って、泣き叫んで。
穏やかに暮らしたい。ふたりとも同じ願いのはずなのに。
そして、散々喚き散らしたあとに後悔して許しを乞う。
私だって毎回許してもらえるとは思っていないし、こんなこともう絶対しない。やりたくなんかないと思うのに、また1〜2ヶ月後に同じことをしてしまう……
今回はとうとう許してもらえなかった。
いくら後悔してももう遅い。
強いていうならば、これまで以上の時間を掛けてきちんと行動で証明するしかない。今までとは違うのだと。もう繰り返さないと。
その前に心が壊れてしまいそうだ。
いつも通り優しくしてはくれるけど、女性として見てはくれない、好きな人相手にこんな苦しいことはあるだろうか。
まあ、好きならどうして怒鳴ったりモラハラのようなことをするのだという話だが。
一人になるのは耐えられない。見放されるのも。
消えてしまいたい。
自殺に関連することを検索している間だけは心が落ち着く。
ようやく少しづつ他の人と交友関係を広げていったり、資格の勉強を始めようとした矢先だったのに、それも全部自分でおじゃんにしてしまった。
なるべくしてなったのかもしれない。自分に普通の人間の生活など不可能、ましてや他人との共生など。そういうことなのかもしれない。
泣いていても迷惑そうにされる。弱音も吐けない。何もできることがない。
つらくても信用してくれるまで楽しそうに笑って、穏やかに暮らす。唯一できることと言えば、それだけだ。
境界性人格障害
かもしれない。
というか、Twitterでカウンセリングに行ったり、漫画を描いている人の特徴にほぼ当てはまっているし間違いないと思う。
困るのは、それらの特徴が出るのが身内と言っていいくらい親しい間柄だけで、他人には普通のおとなしい人間に映ることだ。
モラハラ人間。親に散々されて辛かったことを自分がしている。結局、私も親と同類なのか。
本当に殺してほしい。
そう、全部自分が悪い。
同居人に嫌われるのも当然だ。定期的に癇癪のように怒り狂い、手こそ出ないものの泣き叫ぶ。これがモラハラ以外のなんだというのか。
普通の人間ならとっくに人間として無理になっていて、出て行っているだろう。私がされる側の人間ならそうする。
一緒にいてくれて、普通に話してくれるだけでもありがたいことなのかもしれない。
それでも、やっぱりつらい。
女性として見てほしい。愛してほしい。
……身勝手な願いだ。一度や二度じゃない。何度も繰り返してそのたびに泣いて謝って、それでもまた繰り返した。
頭では同居人の対応も当然、いや甘すぎるくらいだとわかっているのに、心は真逆のことを思っている。
早く楽にしてほしい。
自分に生きる価値などない。
元々自殺しようとしていたところを同居人が東京に来ないかと誘ってくれたのだ。同居人がいなくなれば自分が生きる意味などないし、気持ちが離れてしまった今でも同じだ。
そもそも他人を傷つける自分が許せない。
精神科の主治医はカウンセリングを絶対に受けさせようとしてくれない。「アンガーマネジメントを〜」と言われるだけ。
そんなものは何度も試したし普段から怒っているわけではない。むしろ穏やかなほうだ。
けれど爆発するときは発作のようにすべてが無意味になってしまう。
主治医には怒ったりしないから伝わらないのだろうか。
変わりたいのに変われない。そのまま大事な人の気持ちまで失ってしまった。
どこにのうのうと生き続ける理由があろうか。
「本当に変わったと思ったらはるかに対してまた魅力的だと感じるかもね」と彼は言う。
しかし一度失った信頼はそう簡単には戻せない。
今まで過ごした5年間と同じか、それ以上かかっても相手の心のことなのだ、たとえ変われたとしても気持ちは戻ってこないかもしれない。
そもそもその前に私の家からいなくなっているだろう。
今日も彼が寝ている間、つらくなってこっそり泣いた。
悪いのは自分なのに。
抗不安薬を飲もう。
用量を増やした薬が効いている間と寝ている間だけは、希死念慮から解放されるから。
自己紹介
はて、何から書いたらいいものか。
今は薬でなんとか情緒が安定しているので、もしこのブログを訪れるような奇特な方向けに自己紹介でもしようか。
毒親から逃げてきて一人暮らしを始めたはいいものの、精神的な病気を抱えたままろくに友達もいないアラサーの弱者女性です。
バイトは週に一度。3時間ほど。
一人暮らし当初からずっと一人の男に沼って、別れたあともずっと関係を持っていたものの今に来てそれも切れてしまいそうで限界が来て、このブログを立ち上げました。
詳しくは別の記事で書こうと思うけれど、はっきり言ってもう限界なのでここは感情の掃き溜めにでもする予定。
余裕ができれば他の人のブログも読んでみたい。
よろしくお願いします。